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ESSAY
At The Bus Stop

I remember following hearing the name, "David Bowie".
 Many years ago, I talked about him with a woman for a while at
the bus stop in front of Nakano station, Tokyo. When we were waiting
the bus, at first, she asked me "What kind of music do you prfer ?"

 I answered like this."I like rock'n'roll.I love especially David
Bowie."
"Oh,so...." She said and looked another way in the night.
 I thought she might not know the artist and said,"Have you ever
listened to his music ?"
 She said with her clear face," Yes, I know his works well. I
think he doesn't have any talent of music. He is not a good composer.
....But, ....I feel something from him. What can I say...."
" The brightness of being ?" I asked.
 She answered, "Yes, yes, I think he has the brightness of being
anyway. l prefer David Bowie,too."

 I was not sure if she liked his works. She might have say the word
"prefer" only to make this Bowie maniac feel happy.
 Then, she started to talk about David Bowie for some minutes. I
listned to her hard critic so patiently without speaking. It felt like
one or two hours for me. I couldn't understand what age's Bowie she
criticized, because there were no titles of song, no names of album or
no numbers of year in her talking till the end. Her critic was too
abstract.In the end, I begun to doubt if she had ever listened to the
music of David Bowie. But, the doubt means nothing for me at last.

 At first, I was so shocked at her words "I think he doesn't
have any talent of music." Oh, is this woman in sane ? Who can say
this when you listen to the great works like "Ziggy Stardust" and
"Heroes" ? Look at his brilliant exploit and career in the world of
show business. Who can say this ? But, those things mean nothing for
me at last.
 Hearing her talking, I felt something warm and joyful begun to
be big in my mind. She looks good and I was fascinated by this woman
who talked so stright.

 You know well that you have to feel your responsibility about what
you've said. And you know that you have to learn well about it before
you say it. But, then, when you can say anything about it ?
 French novelist, Raymond Radiguet who wrote the great work at only
17 years old and who had been called as a miracle by people, said like
this," It is said that you have to live a life before you write. That's
the truth. But, what I want to know is when I can say I lived enough.
Does it mean the death logically ?"

 The way she talked straightly felt like fresh breeze for me.
Because I used to be bound up tightly by so many things to think.
"Opinoon and Responsibility" is a difficult question. Anyway, I felt
little bit fine hearing severe critic about my favorite artist.



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エッセイ

以前、バス停で

英国のロックスター、デヴィッド・ボウイの名を聞くと、僕はあのことを思
い出す。
 ずっと以前、中野駅前でバスを待っていたとき、やはりバスを待っていたOL
らしい女性とすこし話したことがあった。バスが来るまでの、ほんの10分か15分
ほどの立ち話だ。話していると、何かの拍子に、音楽の話になった。
「どんなのを聴くんですか?」

 彼女が聞くので、僕はこう答えた。
「ロックばかり聴いています、僕はデヴィッド・ボウイのファンなんです」
「ふうん」
 彼女は鼻で相槌を打って、夜の街の風景へ視線を向けた。僕は、ははあ、ボウイ
を知らないのだ、と考えた。そこで尋ねてみた。デヴィッド・ボウイって知ってま
すか、と。
 すると、彼女は涼しい顔で言った。
「ええ、よく知っているわ。あの人は、あれですね、音楽の才能は全然ないですね。
作曲の才能がないし……。でも、……そう、あの人の持っている雰囲気がいいのね。
なんていうか……」
「存在感ってこと?」
「そう、そう。存在感があるのよね。……わたし、デヴィッド・ボウイ、好きですよ」

 彼女は、本当にボウイが好きなのかもしれないし、ファンだという僕をガッカ
リさせないように「好きだ」と調子を合わせただけなのかもしれなかった。
 とにかく、彼女はそれから、デヴィッド・ボウイについて、いろいろと自分の感
じているところを喃々と語りはじめた。彼女の話には、曲名だとかアルバム名だと
か年号だとかがまったく登場してこなかったので゛僕は彼女がいつからボウイのこ
とを知っていて、どの時代のボウイのことを批評しているのかさっぱりわからなか
った。それでも、僕は彼女の話にうなずきながら耳を傾けていた。そうして聞くう
ち、僕は彼女が本当にボウイの曲を聴いたことがあるのか、いよいよ怪しみだした。
 しかし、そのうちに、そんなことはどうでもよくなってしまった。

 最初、「音楽の才能が全然ないですね」と、ボウイの存在自体を否定するかの
如きせりふを聞いたとき、僕はカチンときた。いったい、この女は「ジギー・スタ
ーダスト」だとか「ヒーローズ」だとか、だいぶ古くはなってしまったが、ロック
の名盤として知られる珠玉の名品の数々を聴いた上でものを言っているのだろうか、
あの浮き沈みの激しいショー・ビジネスの世界で、あれほどの長きにわたって君臨し
つづけている彼のキャリアを踏まえた上で意見を言っているのだろうか。そんな疑
問が最初は頭に浮かんだ。でも、彼女の話を聴いているうちに、そんなことはどう
でもよくなってしまった。
 彼女の話を聞いているうちに、いつしか僕は、どこか朗らかな心持ちが、心の内
にわきあがってくるのを感じた。歯に衣着せず、思ったままを素直に話す彼女は、
とても気持ちよかった。とっても魅力的だった。

 自分の発言には責任を持つべきだろう。責任ある発言をするためには、それなり
の知識も必要だろう。しかし、いったいどこまで知ったなら、そのことについて知
っていることになるのか? これは知識量ではかることはできまい。極論すれば、
死ぬまで勉強しろ、それまでは知った風な口をきくな、ということになろう。
 夭逝したフランスの作家レーモン・ラディゲは、17歳で文学史上に残る傑作
『肉体の悪魔』を書いたことを奇跡として騒ぎ立てるマスコミに答えて、こう言
っている。
「書くにはまず生活すべきだというのが、常套語である。それは、ゆるがせに出来
ない一つの真理でもある。しかしぼくの知りたいのは、それではいったい何歳にな
ったら本当に(自分は生活した)と言い切れるかということだ。この定過去は、論
理的にいっても、死を意味してはいないだろうか?」(『レーモン・ラディゲ全集』
江口清訳・東京創元社)

 とにかく、バス停で会った彼女のはきはきしたもの言いは、僕の心に涼風となっ
て吹き込んできた。いろいろな「考慮すべきことがら」でがんじがらめになってい
る僕の頭に風穴が開いた気がした。
「発言と責任」は微妙な問題で、議論が尽きない。ただ、その夜、ボウイ・ファン
の僕は、自分のお気に入りのスターについての小言をさんざん聞かせられながら、
ちょっといい気持ちがした。


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